無意味なルールというものは、世の中にいくらでも存在している。冗談かと疑ってしまうようなとんでもない法律も、ネットの海を探せばすぐに見つかる。人を縛りつける形而上の鎖は、しばしば権力や惰性によって乱用されてきた。そうしたものに対して最適な反抗を探すようになったのは、僕が高校生の頃だった。
一年間休学してアメリカはニューメキシコ州のサンタフェに留学した僕は、その間に十センチも背が伸びた。ほぼベジタリアンのホストファミリーだったから、急激な成長がアメリカの食事に起因するものではないことを申し添えておく。持って行った服は入らなくなり、それまでは日本人らしい格好をしていた私も、帰ってくる日には上から下までNIKEだった。
さて、いざ帰宅し、再登校の準備をしてみると、一年前まで着ていた学ランはものの見事にツンツルテンになっていて、安っぽいコスプレというにも不十分だった。手首も足首も丸見えで、学校に行けないと思うほどには恥ずかしい。とはいえ、あと一年と少ししか残っていない高校生活のために学ランを新調する必要があるのかは甚だ疑問だった。ちなみに私の出身高校は名古屋では三大温泉(ぬるい)高校のひとつとして知られている。その自由さについて例を挙げるなら、僕が赤髪で生徒会の副会長をやっていても、一切咎められることはなかった。
数日後、仕方なく高校指定の制服屋に行ったが、上だけで二万円ちょっと。合わせれば四万円弱。高すぎる。着たくて選んでいるわけでもない洋服にこんな金を払ってやりたくないと思った。
その頃、近所のコーヒー屋のアルバイトで服を買っていた僕は、お金のありがたみをある程度知っていたし、なにより当時お熱だったコム・デ・ギャルソンの洋服がそのくらいの値段で買えることを知っていた。反抗心で、さしあたり、先生に何か言われるまで、リサイクルショップで買った九百円の黒い古着のスラックスを履くことにした。指定のものはウールとポリエステルの混紡だったからそれに合わせた。太さの誤差も一センチほどしかない。ポケットの形も同じだった。完全犯罪ならぬ、完全校則違反だと思ったが、友人のものとよく見比べると、ウエストだけディテールが違ったので、隠さねばならなかった。
式典以外は制服必着ではなかったので、校内ではシャツの上からセーターを着てウエスト位置を誤魔化し、体育の着替えでは、脱ぎっぱなしの服についたタグや内側の仕様がバレないように、とても綺麗に畳んだ。今になれば本当にくだらない努力だったと思うが、ルールを破っても人に迷惑をかけなければそれでいいのではないか、と疑い始めたのはその頃だ。
優秀ではないけれど劣等でもなく、たまに目立つが揉め事も起こさない生徒に対して、強く叱る気力のある先生はほとんどいなかった。日本の公立高校の割には、校則はきちんと形骸化しきっていて、ある程度尊重されていた気がする。
余談だが、あのウエストを気にし続けていたことが、回り回って今の僕(ファッションデザイナー)に繋がっているのかもしれない。
それからは、毎日少しの罪悪感を持ちつづける日々だった。それは日に日に小さくなっていったが、消えることはなかった。夏はシャツ一枚、秋はセーターで学校に通い、寒い冬はウールのステンカラーコートのボタンを上まで閉め、大きめのマフラーを巻いてバレないようにした。唯一身だしなみについてご指導いただいたのは香水のつけ過ぎについてで、色気とユーモアのある男性の先生が優しい口調で言ったので、ルールというより紳士の振る舞いについての教えとして、素直に聞くことにした。
雪が溶けて、先輩の卒業の時期になった。事情を知っている先輩が学ランをくれた。第二ボタンはなかったし、肘は摩擦でテカテカだった。聞けば、彼の二人の兄も着ていたらしい。これ以上ないほどにくたびれていたが、それでも、新しいものを買うよりはマシだった。それから僕はそのヴィンテージの学ランを学校に置きっぱなしにして、黒いスラックスと白いシャツという最低限のルールだけは守りつつ、そこそこ好きな格好で通ったし、それを誰にも咎められることはなかった。僕みたいな人は多くはなかったが、数人いたと思う。
校則と法律はスケールこそ違えど、機能としてはほとんど同じである。そして、僕の中では、「ルールは守らなくてはいけない」という倫理と、「そのルールは本質的であるのか」という問いが、常に対立している。大きくはみ出したいわけでは全くないけれど、鎖をつけられているのなら、外したいと思うのは自然な感情だと思う。
そして、それは道徳教育に由来する。イタリアには「赤信号は歩行者にとって気をつけろという意味だ」という感覚があるし、実際友人はそう言っている。ここでは、ルールは時に破られることを前提にしており、その一部分は自己責任の領域に属している。また、ドイツでは、ドラッグ依存症患者が注射器の使い回しで感染症を拡大しないよう、薬局の前に新品の注射器が置かれ、使用済みの回収箱がある。自分の身体に入れるものくらい自分で選べるべきだ、という思想が、制度として実体化している。
哲学ではこれは愚行権と呼ばれる。十九世紀にミルが整理した概念で、他人に危害を加えない限り、愚かな選択であっても自由であるべきだ、という最低限のラインである。日本では愚行であって自ら責任をとるとしても、倫理的な側面から強く非難されやすい。これはとても美しいことでもあるが、「普通」や「美徳」が時に激しく人を苦しめることがある。人は、知らないことは想像できないのだ。
もし僕が高校生の頃に戻るとしたら、どうするだろう。お金に余裕があっても、ハンサムだったとしても、あるいは当時と全く同じ状況だったとしても、選択に変えるべき点はないと思う。誰を傷つけることもしなかったあの「悪い成功体験」は僕の原体験としてつよく残っている。急に破ったのではなく、少しずつ破っていったという意味で面白かった。嫌われたいわけではないから、あくまで行儀は良く、しかし確実に、権威に疑問を突き付ける。それに誰も反応しないのなら、心の中で、そして態度で中指を立てる。そんなサイレント・パンクは、26になった今も、形を変えて、今で僕の中に息づいている。
悟り世代(そもそも悟ったフリをしているだけの、諦めてるあんまり頑張りたくない世代だとも思うが、娯楽が多すぎるし、頑張って報われるような世界じゃないからある程度は仕方ない)と呼ばれる今の若者に、権力に歯向かうパワーはあまりないらしいが、僕はいつだって権力には疑いを向ける生き方をしている。それが尊敬している人であれ、かたまってきたものは破壊しなければならない。僕のファッションという制度に対する向き合い方は、まさにそれである。いつだって、どうやったらファッションの喉元にナイフを突きつけられるか考えている。そのスタンスをアンチ・モードと呼んでいる。ここで面白いのは、間違いなくもっともアンチ・モードな衣類のひとつは制服であり、奇しくも、そこが僕のファッションの入り口になっていること。
アンチモードは、結果として、数十年後、モードの境界線を広げたものとして、ファッションというブラックホールの一つの要素としてただ取り込まれていくのである。ブラックホールに取り込まれるということは、ファッションの歴史に残るということだ。
